
死者は座ったまま、
山へ行く。
十津川村に伝わる、死の作法
棺の中で、死者は座っている。膝を折り、胡座を組んだまま。それはすぐに立ち上がれる姿勢だ。
十津川村では、棺に入れるものが決まっていたとされる。おにぎりひとつと、666円。
666円の内訳は、500円玉・100円玉・50円玉・10円玉・5円玉・1円玉をそれぞれ1枚ずつ。6種類の硬貨が、三途の川の渡し賃になる。古来「六文銭」と呼ばれた死者の路銀が、現代の硬貨6枚に姿を変えて残っている気がする。
おにぎりは旅の食料だ。死者は旅人として送り出される。この山の中で、そういう考え方が続いてきた。
「六文銭が、現代の硬貨6枚になった。それだけのことだ、と言えばそれだけのことだ。」
十津川の葬送には「両墓制」と呼ばれる習わしがあったとされる。ひとりの死者に対して、墓をふたつ作る。
ひとつは「埋め墓」。遺体を実際に埋める場所で、人里から離れた山の中に設けられる。名前も刻まない。ただ、そこに埋まっている。
もうひとつは「詣り墓」。集落の中に置かれ、遺族が手を合わせに来る場所だ。石塔が建ち、名前が刻まれる。
遺体と、霊魂は、別の場所にいる。死者の肉体は山の土に還り、魂だけが集落の石の前に留まる——そういう考え方が、ふたつの墓を作らせた。
白い幟を立て、葬列を組んで山へ向かう。棺を担いだ人々が細い山道を登っていく。その光景を、この村の人々は長く見てきた。
両墓制は近畿・中国・四国地方の一部に見られる習俗で、奈良県南部の山間地域にも広く残っていたとされる。
十津川村には、寺がほとんどない。明治初年の廃仏毀釈によって、村にあった51の寺院がすべて廃寺になったとされる。
寺のない村の葬送は、神道の作法で行われた。僧侶が来ない。読経もない。それでも、死者は送られた。おにぎりと666円を持たせて、座ったまま、山へ。
宗教の形式が変わっても、棺の中身は変わらなかった。死者を旅人として送るという考え方は、仏教以前からこの山の中にあったのかもしれない。
「宗教の形式が変わっても、棺の中身は変わらなかった。」
666円という数字は、奇妙に具体的だ。財布の中にある硬貨が、三途の川を渡るための金になる。いつからそうなったのか、はっきりはわからない。ただ、この山の中で何百年も続いてきた考え方が、今も棺の中に入っている——あるいは、入っていた。