
朝廷は、雨を
注文していた。
丹生川上神社と、水を司る神について
高見川沿いの道を上ってくると、社殿が見えてくる。山が深くなるにつれて、音が変わる。葉の揺れる音と、水の音だけになる。雨を頼みに来た人たちも、この道を来たのだろうか、となんとなく思った。
675年、天武天皇の時代。日本書紀にこんな記述があるとされる。旱魃に際して、朝廷は使者を「丹生川上」へ遣わし、神馬を奉納して雨を祈った——と。これが丹生川上神社に関する最初期の記録らしい。
以降、平安時代にわたって、記録は繰り返される。雨が降らなければ「祈雨(きう)」の使者を送り、逆に降りすぎれば「止雨(しう)」を祈りに行った。七百年間に九十六度。
それは「祈る」というより、「頼む」という行為に近い気がする。実績のある相手に、正式な手順で、必要なものを持参して依頼する——発注に近い。
七百年間に九十六度。朝廷はここに、雨を頼みに来た。
中社の主祭神は、罔象女神(みずはのめのかみ)。火の神を生んだことで命を落としたイザナミの苦しみから生まれた水の女神だ、とされる。火の害を水が鎮める——その論理が神の姿になった、ということかもしれない。
境内の摂社には、龍の字を名に持つ神々が祀られている。高龗神(たかおかみのかみ)は山の頂に宿る龍神、闇龗神(くらおかみのかみ)は谷や淵に宿る龍神だとされる。「龗」は龍の古語らしい。
吉野の山は、日本でも有数の多雨地帯だという。山が水を集め、川になり、里へ下る。その源にこういう神を置くことには、地形的な必然がある気がする。
雨を祈る時は黒馬を、晴れを祈る時は白馬を奉納したとされる。黒は雨雲の色、白は晴れた空の色。
やがて実際の馬を調達し続けることが難しくなり、板に馬を描いて代用するようになった——それが絵馬の起源だとされる。そう聞いてから絵馬を見ると、少し違った見え方がする気がする。
現在の丹生川上神社は三社ある。下社(吉野郡下市町)、中社(東吉野村)、上社(川上村)。もとは一社だったとされるが、応仁の乱以降の戦乱で所在が忘れられ、江戸・明治期の研究者たちが各地を「本来の丹生川上神社」として比定した結果、現在の三社体制になったとされる。
参道を戻りながら、川の音を聞いていた。高見川の流れは速い。朝廷の使者が来た七百年間も、この川は流れていたのだと思う。雨を頼みにやってきた人たちも、おそらく同じ音を聞いていた。