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この仏は、日本の外にはいない。

この仏は、日本の外にはいない。

吉野山の中腹に、蔵王堂が建つ。堂の奥に厨子が三つ並び、扉はふだん閉じている。中に立っているのは、高さ七メートルを超える仏だ。肌は青く、髪は逆立ち、右足を宙に上げている。この仏の名は、インドの経典にも中国の経典にも見当たらない。

1 経典に、いない

蔵王権現。正式には金剛蔵王大権現という。仏教の尊像はふつう、インドで説かれた経典に姿と名の根拠を持つ。釈迦も観音も弥勒も、そうだ。蔵王権現には、それが無い。経典に典拠を持たず、日本の山で生まれた尊格とされている。

寺は、こう伝えている。7世紀、役行者が大峯山の山上ヶ岳で千日の参籠をした。乱れた世を救う本尊を祈ると、まず釈迦如来が現れ、次に千手観音、次に弥勒菩薩が現れた。過去、現在、未来を受け持つ三つの仏だ。役行者はなお祈った。三体はあまりに優しく、荒れた世の人を救うには足りないと見た。祈りの末、雷鳴とともに現れたのが、忿怒の姿の蔵王権現だったという。

文献で追える最古の名は、9世紀に遡る。京都・醍醐寺を開いた聖宝が金峯山に造った三体の像のなかに「金剛蔵王菩薩」が含まれていたと記録に見え、史実としてはこの頃の成立と見るのが穏当とされる。役行者の感得は寺伝で、像の成立は平安時代。どちらにしても、生まれた場所は吉野から大峯にかけての山の中だ。

2 青い肌、怒りの顔

蔵王堂の三体は、中尊が7.28メートル、向かって右が6.15メートル、左が5.92メートル。木造で、重要文化財に指定されている。中尊の頭の内側に墨の銘があり、天正18年(1590年)11月19日の日付と、南都の大仏師宗貞・宗印の名が記されている。堂の再建と並行して造られた像だ。

三体は同じ姿をしている。右手に三鈷杵を掲げ、左手は腰で剣印を結ぶ。左足で岩を踏み、右足を高く蹴り上げる。目は三つ。牙が出て、背に炎を負う。釈迦、千手観音、弥勒の三仏がこの姿に変じたものとされ、三体はそれぞれ過去、現在、未来を受け持つ。

全身は青黒い。寺はこの色を、慈悲と寛容のあらわれと説明している。怒りの中で、すべてを許す姿だと。

3 桜は、御神木だった

役行者は感得した姿を、山桜の木に刻んで祀ったと伝わる。仏を刻んだ木だから、桜は蔵王権現の御神木になった。吉野の桜の始まりは、ここに置かれている。

平安時代から、金峯山に詣でる人々は桜の苗木を献じて植えた。信仰の証として植え、御神木として切らずに守った。それが千年つづいた結果が、今の吉野山だ。約200種、3万本。8割がシロヤマザクラで、下千本から奥千本へ、山の下から上へ順に咲き上がる。ひと目に千本が見えるという「一目千本」の眺めは、花見のために植えられたものではない。献木の堆積だ。

寺の側からも、桜は仏に結ばれている。毎年4月10日から12日、金峯山寺は花供懺法会を営む。千年の歴史を持つとされる法要で、御神木の山桜が満開になったことを本尊に報告する。

4 扉が開く日

三体は秘仏で、ふだんは厨子の中にいる。2012年から、寺は仁王門の修理の勧進のために期間を限って扉を開くようになった。春と、秋。

内陣に入ると、三つの厨子の扉がすべて開いている。青い体が、目の前に立つ。中尊の顔は、見上げてもまだ上にある。三鈷杵を持った右手は、堂の天井に近い。

秋の終わりに扉はまた閉じる。次に開く日まで、青い仏は厨子の中で、上げた右足を下ろさない。

写真:金峯山寺 蔵王堂。撮影:663highland / Wikimedia Commons(CC BY 2.5)。表示枠に合わせてトリミング。

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kinpusenji_Yoshino_Nara17n3200.jpg

ライセンス:https://creativecommons.org/licenses/by/2.5/

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